飽きる達人
すまんな。
気が変わったんだ。
チェンジマインドってやつだ。
僕は君を仕上げにかかるつもりは、どこをどう探しても毛の先ほども見つからない。
悪かった。
頭の中で、新しい考え方や発想に取り憑かれて、あれこれと妄想や想像を巡らせるんだけど、このところ公私ともに時間がなくてね。
なんて嘘つき。
時間がないのは確かでも、お前さんは飽きたんだ。
ひとつの考え方に飽きて、新しい発想を毎日毎日それこそ飽きずに探してるんだ。
お前のオモチャみたいなケータイのメールフォルダを見てみろよ。
偉そうなことをダラダラ書いたくせに未完成なままの日記が62通も保存されてらぁ。
だから謝ってるでしょ。
例えばね、文章を書き始める時は白いものを称賛しようとしていたのに、次の日には白よりも黒の方が魅力的に思えてきてね。
でも次の日には白も黒もどちらも素晴らしく思えたり、どちらもゴミとしか思えなかったりするんだ。
下書きではなにも気にすることなくダラダラ書くから、3日目になって最初の部分から直すなら、いっそもうそんな日記は書くのをやめちまえって気持ちになるんだ。
誰かの言葉で有名なのがあったな、
「写真や文章にしなくては覚えていられないような物事は、思い出とは呼べない」
その通り、だけど僕は未練がましい男でね。
なんでも取っておきたいの。
だからなんでも普段の出来事や思ったことを書き残して、あとで読んでみたいの。
ただちょっと感受性が豊かでね。
考え方の更新ていうの?
考えを改める頻度が人よりも多いんだ。
秋の空や女心、または山の天候よりもよっぽど僕の気持ちの方が移ろいやすい。
飽きっぽいなんて言い方は失礼だよ。
思ったんだけど、『女心と秋の空』の『秋』って、『飽き』とかけてるのかなぁ?
あ、また話が逸れた。
飽きっぽいって話ね。
違う。気が変わりやすいって話だ。
現時点で62個もの日記が未完のままなのは、実際のところ書いているうちに嫌になっちゃったものが大半だけど、書きかけのものを読んでもなんの話だったか分からないものも少なからずある。
ふと信号待ちをしている間などに思ったことをメモして保存しておくんだけど、それが簡略化されすぎててもう思い出すヒントにすらならないの。
例えば先週のメモはこうだ。
「障害児」「ホームレス」「酔っ払い」「フォード」「事故」「神様の庭」「サッカーボールが交差点」「親の気持ち」「子の気持ち」
書いておいても思い出せない程度の事柄は、やっぱり思い出に成り得る価値の足りない存在だったんだろうな。
でもなんだか、少しだけ寂しい。
あれらの物事は確かに目の前に存在して、僕の脳ミソはなんらかの反応を示したはずなんだ。
マッチの火が点くみたいに確かなインパクトを残したはずなのに、残った燃えかすからはリンの焼けた匂いすら嗅ぎ取れない。
さよならを言ったって、僕がなにを失ったのかも分かりゃしない。